昨日、調理実習に参加した長男。
とても楽しかったようです。
今日は給食を食べに登校しました。
昨日は久しぶりに給食を食べに登校した次男は、今日は欠席。
午前中はなんだかとても不機嫌でした。
エネルギーが続かないのか。
行けない自分への苛立ちなのか。
不機嫌を撒き散らすのは止めて欲しいですが、きっと理由があるのだと思います。
夫を紐解く
夫と一緒に児童精神科を受診した話の続きです。
診察は夫の話が中心でした。
不登校で父親の理解が得られないケースでは、まずは父親自身が問題を抱えていないか、紐解いていく必要があるそうです。
今のお子さんたちの状況、どう思われていますか?
お父さんのことを聞かせてくださいね。お仕事は?
日頃、ストレスを感じることはありますか?
ストレスを何で解消してますか?
お父さん、子どもの時はどんなお子さんでした?
ご両親はどんな方ですか?
夫は児童精神科でこんなに自分のことを聞かれるとは予想していなかったようで、少々面食らっていました。
夫のストレス
日々、外で人と関わって仕事をしている夫は、対人ストレスが多いようです。
立場上、業務調整や勤務調整をしていますが、これが性に合わないようで、現場仕事の方が気が楽だと言います。
休みの日も、家には子どもたちがずっといて、気が休まらない。
独りになる時間もない。(私よりはずっとありますが)
今はコロナの影響で、同僚との飲み会や、仲間内でたまにやっていたフットサルに出かけることもありません。
そして、夫はストレスを抱えていても、相談したり、愚痴る相手もいないのだと思います。
男性は女性に比べ、そういう傾向があるそうです。
でも、男性だって吐き出すことは大事。
吐き出さなければ、鬱憤が溜まっていってしまいます。
子どもたちが不登校になる前は、私が夫の愚痴を聞いていたような気もします。
でも、子どもたちに手一杯で、私にそんな余裕がなくなってしまい、夫も余裕のない状態がずっと続いているのかもしれません。
「べき思考」
子どもの現状を受容ができない親の多くが、子どもの頃の「育てられ方」の影響を受けているそうです。
厳格に育てられた、放任されていた、過干渉な親だった、兄弟で差別的な扱いを受けていた・・・など。
昭和の時代に育った私たちの世代は、特に問題視されることもなく、当たり前のようにそうやって育てられてた場合も少なくないと思います。
夫は特別厳格でもなく、放任でもない、ごく普通の家庭で育ちました。
私から見た義実家は、常識的でしっかりした家庭という印象です。
この「常識的」というのが曲者で、その時代の多数派に属する価値観を持っているということ。
社会に適応するには必要なことだと思います。
でも、「こうあるべき」という考えが堅固すぎると、少数派の考えを受け入れられなかったり、個を尊重できなかったりする。
全てのストレスは「べき思考」によって生み出されている
と言い切る精神科医もいるほどだそうです。
学校は休まず行くべき
学生は勉強するべき
規則正しく生活するべき
常識的な家庭で育った夫は、これらの「べき思考」に支配されているのだと思います。
そういう私も、ごく常識的な家庭で育ち、自分でも「べき思考」に囚われていると認識している部分があります。
ひとに対してではなく、自分に。
いつも「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」と考えていて、「やらなきゃ」と思っていたことが出来ないとストレスを感じます。
ごはん作らなきゃ
仕事しなきゃ
子どもたちのためにスケジュール調整しなきゃ
日本の現代人はみんなこんなものじゃないかと思いますが・・・
「こうあるべき」や「やらなきゃ」を手放して、「こうしたい」「やりたい」に変える。
そうすると、その人らしく、のびのびと生きられるのだそうです。
簡単なことではないですね。
子どもの頃から身についている価値観を手放すのは。
意識的に「べき思考」から脱却する必要があるのだと思います。
今の夫は、学校へのこだわりはさほどなくなってきています。
不登校の解決が、学校生活を普通に送れるようになることとは考えていません。
その部分は私と同じで、少し安心しました。
道のりは長そうですが、とりあえず同じ方向を向いて進めるという希望が湧いてきました。