こんにちは。
昨日のワクチン接種の副反応、腕の痛みだけで済んだようです。
腕の痛みというか、肩凝りのような重い感じ。
洗濯物を干すのに腕を上げようとすると、ちょっと痛いくらいです。
昨晩、うさぎのこみみのために段ボールハウスを作っていた次男。
朝からそれをせっせと破壊するこみみ・・・。
新たな通路を作ろうとしています。
次男は唖然としていたけど、うさぎの本能だから仕方ない。
こみみの遊び場を作ってあげたかった次男の思惑とは多少違うものの、こみみはとっても楽しそうです♪
書字が嫌いな長男
長男は字を書くことが嫌いです。
嫌いというより、苦痛だそうです。
先日、その理由を話してくれました。
「書き取りの宿題がなかったら、こんなに字を書くことが苦痛にならなかった」
恐らくほとんどの日本の小学生が課せられたことのある書き取りの宿題。
うちの学校では、毎日必ず出される宿題のひとつです。
学年によって書く内容も文字数は違うものの、
正しく書く・丁寧に書く・繰り返し書く
ことで、漢字を覚えるのが目的の宿題ですよね。
長男が1年生の時の担任は、書写のように整った形の字を書かないと花丸にはしてくれない先生でした。
花丸を貰えなかったら、翌日に直して再提出。
花丸が貰えると、ノートの表紙にシールを貼ってくれて、シールの数は書き取りを頑張った勲章のようなものでした。
一発で花丸を貰いたい。
シールをたくさん集めたい。
素直な子ほど、先生の思惑にぴたっとはまって、頑張っていたと思います。
まさに長男はそういうタイプ。
一発で花丸を貰うために、書いては消し、書いては消し。
時には涙を流しながら、1時間近くもかかって宿題をしていました。
お手本のような字でノートのページが埋まるまで。
私がいくら「きれいに書けてるよ。消さなくて大丈夫だよ」と声を掛けても、「はねやはらいが出来ていればいいんだよ」「30分で終わるのを目標にしてみたら?」と言ってみても、長男には届かなかった。
1年生の子にとって、先生の存在は圧倒的に大きいです。
親の言うことは素直に聞かなくても、先生が言うことが正しいと信じてしまうこともある。
先生が一発で花丸をくれるような字を書くことが、書き取りの正義。
長男の頭にはそう刷り込まれていました。
年度末、クラス全員からのメッセージを纏めたカードを貰ってきた長男。
「長男くんは字がとてもきれいだね」
「字が上手だね」
と書いてくれているお友達が5~6人はいたと記憶しています。
1年を通して、クラスで最も多くの花丸=シールを獲得したのは長男でした。
一転して、2年生の担任は、字の形はほどほどでも花丸をくれる先生。
長男の書き取りの宿題は、15分で終わるようになりました。
保護者の間では、あまりやる気がなく可もなく不可もない先生だと評判だったけれど、私は長男の書き取りの呪縛が解けて良かった! くらいに思っていました。
そして3年生、花丸のハードルがぐっと高い先生が担任になりました。
3年生では文字数も増えるし、字の画数も多い。
再び、泣きながら1時間もかけて書き取りに向き合う日々に。
ここで、1年生の時にはなかった問題も出てきました。
毎日こんなにも時間と労力をかけて書き取りをやっても、字を覚えない・・・。
書き取りの宿題は、もはや綺麗に書くことが目的になってしまっていて、毎日真面目に宿題をやっているのに、字を覚えられるわけではなかったんです。
「字を覚えるのが目的なんだから、形はほどほどでいいんだよ」と諭してみても、相変わらず一発で花丸を貰うことにこだわる長男。
途中で五月雨登校になってからも、長男の心がポキっと折れて笑顔が消えるまで、書き取りの呪縛はずっと続きました。
努力と報い
書き取りの宿題を出されることはありません。
以前、漢字の練習プリントを頂いた時、長男は「見るだけで苦しくなる」と言って拒絶しました。
先生には私から事の次第をお話しし、そういうことなら無理は止めておこうと言って下さいました。
あんなに努力して取り組んだ書き取りなのに、長男にとっては報われなかった苦しい記憶でしかない。
獲得するはずだった漢字の知識はきちんと獲得できず、実際に獲得したのは沢山の花丸とシール。
字を書くのがイヤだと言う長男を、私は責める気になれません。
何かを頑張るために一歩踏み出すには、「努力すれば報われる」と信じられることが必要なのだと思います。
そうは言っても、親としては小学校で習う漢字くらいはせめて読み書きできるようになってもらいたいのが本音。
長男は読む方は得意なので、例えばこのブログくらいの文章なら難なく読めます。
次男に至っては読むのも心許ない・・・。
学校の書き取りのやり方はともかく、漢字を覚えるのにはある程度の努力を要することは事実ですよね。
自分に合った覚え方で覚えればいい。
いつか必要性を感じて、勉強しようと思う時が来るのかな。