こんにちは。
今日は爽やかに晴れて、家の中にいるのが勿体ないくらいです。
夕方のおしゃべり散歩は次男も誘ってみようかな。
たまに3人で散歩に行くと、長男のマシンガントークに次男は唖然とするらしい。
「よくこんなのしょっちゅう聞いてられるね」と言われます。
今日は長男が給食を食べに登校しました。
出がけに次男に向かって「ぼくがいない間はゲームしちゃダメだからね!」と念押し。
は~・・・。
次男の行動に囚われなくなった方が、自分も楽なのに。
体育の動画配信
近頃の双子はたまに給食を食べに登校したり、放課後登校しています。
でも、家では元気な長男も、学校に対して積極的でないのは相変わらず。
登校のペースもちょっと落ちているし、オンライン授業のお誘いもスルーしています。
そんな双子に、学校からとある動画が送られてきました。
支援級合同の体育の授業、先生の解説入り。
恐らく、うちの子たち限定で配信して下さっているのだと思います。
きっと先生の気持ちは、
授業のリアルタイム配信だと入室しにくいんだろうな
いつでも見られる動画配信で送ってみよう
という感じだと思うのです。
そして、みんなが楽しく体育をやっている姿を見て、やりたくならないかな? という意図もあると思います。
動画を見た率直な私の気持ちは「体育の授業動画なんて見たくないだろうな」でした。
リアルタイムとか、いつでも見られるとかいう問題ではなく。
みんなが当たり前に楽しんでいる、頑張っている姿を見るのって、辛くないですか?
本来なら自分もその中にいるはずだし、いるべきだと思ってしまいそう。
疎外感も感じると思います。
私だったら、直視できないかも。
動画配信の通知は私のスマホに届くようになっているので、私の判断で見せるのは止めておきました。
今のところ伝えてもいません。
以前にも不登校とICT活用について記事にしましたが、学校を家庭に持ち込むのは、不登校の子にとってなかなか厳しいものがあります。
こだわりを手放す
社会の都道府県のプリント(4年生レベル)をやっていた時のことです。
漢字で都道府県名をなぞり書きするように、薄く字が書いてあるものでした。
長男「なぞり書き、しなきゃダメかな。なぞり書きだと、キレイに書かなきゃって思っちゃうんだよ。イヤだな」
長男は字を書くことが嫌いです。
なぞり書きはその最たるもので。
なぞることに集中しすぎて、字や内容は全くと言っていいほど覚えられません。
eco「薄い字を修正液で消して、コピーしてやる?」
なぞり書きをするくらいなら、何もないところに自分の字を書いた方がマシ!
以前そう言っていたのを思い出して提案したところ、
長男「いいよ、手間かかるし。薄い字をなぞろうと思わないで書いてみる」
と、薄い字をなぞることに集中するのではなく、字の形に意識を向けて、自分の字で47都道府県を埋めていました。
長男にとってはすごい成長だと思います。
今まではなぞり書きに意識が向かい、キレイに書くことが目的になっていました。
時間がかかって疲れるのに、字そのものは覚えられなかった。
それが、字や内容を覚えることが目的だと認識し、自分で書くことに意識を向けられた。
視点をちょっと変えれば難しいことではないのに、こだわりがあってずっと視点を変えられずにいたんです。
でも、大事なことは何か?と考えて、あれ?ちょっと視点を変えれば出来るかも、という思考が働いた。
これがこだわりを手放すということ。
ひとつ階段を上れた気がします。
きっとこういう些細なこだわりが色々あるんだろうなぁ。
それらの視点をちょっとずらしてみるだけで楽になることが、他にもあると思います。
まずはひとつひとつ、ですね。