ゆっくりいこう ~不登校ふたりっ子の足跡~

不登校の双子と生きる母の忘備録

次男を初めて腕に抱いた日

こんにちは。

 

不安は解消してだいぶ体調も回復した長男、まだ少し咳が出ています。

修学旅行は1週間後だけど、今週の登校は無理かな・・・。

コロナ以前だったら普通に登校してしまうレベルだけど、今は歓迎されませんよね。

 

さらに、次男まで喉が痛いと言い出しました。

今のところはそれほどひどくなさそうで、普段通りの生活をしています。

どうかひどくなりませんように。

 

私と次男だけの記念日

 

双子の誕生日は10月ですが、昨日は私と次男だけのとある記念日でした。

私が初めて次男を腕に抱いた日です。

 

次男は長男よりも400gほど小さく、2,084gで産まれました。

低出生体重でNICUに入る必要があり、NICUの病床数が県下最大の病院にも関わらず、その日はちょうど満床だったんです。

明け方に帝王切開でに産まれた次男は、意識が朦朧としていた私とほんのひと目会っただけ。

すぐに赤ちゃん用救急車に乗せられ、別の病院へ搬送されていきました。

 

私が術後歩けるようになって、医師から外出許可を貰い、初めて転院先へ次男に会いに行くことができたのが11月3日。

初めて次男の顔をちゃんと見て、腕に抱くことができました。

 

夫は次男が搬送される前に抱くことができ、転院先にも同行しました。

次男を遠くの病院に預けていくことに心が痛んで、何時間もただ次男を眺めていたそうです。

その後、転院先に毎日冷凍母乳を届けるために通ってくれたのも夫。

仕事が終わってから片道40分以上かかる病院まで、毎日次男に会いに行っていました。

産まれてから退院するまでの2週間、私が面会に行けたのは3回だけ。

私よりも夫の方が、ずっと次男との結びつきが強かったです。

 

潜在的な記憶?

 

産まれてきた子がNICUに入らなくてはならないと、母として本当にやるせない気持ちになります。

幸い次男は身体に異常はなく、ただ体重が基準に満たないだけでした。

それでも、産後のホルモンバランスの不安定さもあって、心配でたまらなかったし、気の毒で仕方なかったです。

私にできることは搾乳して夫に届けてもらうことだけ。

無力感でいっぱいでした。

だからこそ、初めて次男を腕に抱いた日は、私にとってちょっと特別な記念日です。

 

ずっと漠然と思っていることがあって。

出産直後に母子が一緒に過ごせなかったことが、精神発達や情緒に影響するということはないのかな。

 

次男が不登校になって初めて児童精神科を受診した時、問診で妊娠中、出産時、出産直後のことも聞かれ、この話もしました。

でも、直接的に、科学的に関連があるとは言えないそうです。

 

もちろん本人に出産直後の記憶なんてありません。

でも、出産直後の不安や孤独を潜在的に覚えていることがあっても、おかしくないような気がするんですよね。

人の情緒って、それくらい複雑だと思います。

 

それとも、私はただ理由を見つけたいだけなのかな。

次男がこんなにも敏感で、対人不安も強くて、生きづらい理由を。

仮に関連があったところで、時を戻せるわけじゃないんですけどね。