ゆっくりいこう ~不登校ふたりっ子の足跡~

不登校の双子と生きる母の忘備録

抜け落ちた記憶 

こんにちは。

 

今日も長男は給食登校しました。

担任の先生が休職中でモチベーションはなかなか上がらないものの、優しい支援員さんのおかげで、行けば楽しく過ごせているようです。

 

次男は久しぶりにお昼近くまで寝ていました。

最近の次男は本当にぬいぐるみ職人と化していて、起きたらすぐに裁縫を始めます。

昨日もフワフワのくまちゃんを完成させていました。

 

でも、さすがにちょっと疲れが出てきたのか、たまに不安が襲ってくる様子。

なぜか毎年GW前後に調子を崩すので、注意して見守ろうと思います。

 

登校渋りが始まった頃のこと

 

双子は現在中学2年生。

長男はときどき時短登校、次男は完全不登校です。

 

今の私は、学校以外の場所で生きていこうと考えている次男を全力で応援しています。

もちろん自分のペースで学校に居場所を求めようとする長男のことも。

 

でも、双子が学校に行けなくなった当時の私は、学校にしがみついていました。

 

最初に登校渋りが始まったのは次男。

小学校3年生の5月中旬。

GWが明けて運動会の練習の真っ最中でした。

それから1ヵ月もしないうちに、長男も登校渋りするように。

 

なんとか学校との繋がりを保ちたい

勉強が遅れないように頑張らないと

 

と、必死だった私。

母子登校、保健室登校、別室登校、どれも経験済みです。

 

次男の保健室登校に付き添っていたら休み時間に長男が来て、そこから2時間くらい親子3人で保健室で過ごした、なんてこともありました。

長男と次男の登下校できる時間がバラバラで、家と学校の間を1日に4往復するのもしょっちゅうでした。

 

でも、今思えば、やって良かったと思うことはひとつもありません。

 

当時、子どもたちは「行きたくない」とは言えなくて。

「行きたいけど、行けない」でした。

本音を言えない、言ってはいけないと、子どもに思わせてしまっていました。

当時の自分の対応を振り返ると、後悔することばかりです。

 

辛かった時の記憶

 

次男は幼少期ことをとてもよく覚えています。

よくそんなこと覚えてるね? というような些末なエピソードを、詳細に話してくれることが多々あります。

 

そんな次男が、登校渋りしていた頃については記憶がかなり曖昧だそうで。

すっぽり抜け落ちている部分もあるみたい。

 

教室に入れずにいた次男に付き添い、母子登校していた時のことです。

(まだその頃は、長男は危ういながらも通常登校できていました)

 

次男と私は、教室前の廊下で朝の会が終わるのを待っていました。

みんなは朝の会の最中。

 

学年主任で、当時、長男の担任だった年配の先生が廊下を通りかかりました。

 

先生「おはよう。頑張って来られたね。お腹が痛いの?」

次男「・・・」

先生「気持ちの問題なんだよね? 教室に入っちゃえば大丈夫よ」

 

先生は、硬直している次男の手を引いて教室の中へズンズン入って行きました。

私が言葉を挟む間もなく、次男が抵抗する隙もないくらいあっという間でした。

私も教室にいた担任の先生も唖然・・・。

 

次男は、強引に入らされた教室で床にうずくまって号泣。

息も荒くパニックを起こしたみたいになっていたので、私が廊下に連れ出しました。

 

この出来事、すごく衝撃的で私は忘れられません。

でも、次男は全く覚えていないそうです。

 

強いストレスの原因となった出来事を忘れてしまう、解離性健忘だと思われます。

本人の心が耐えられないほどのつらい体験を受けている時は、いつもの記憶の仕方とは違う方法で、脳の別の場所に記憶されるため思い出すことができなくなるのだそうです。

 

今回、不登校初期の話をしていた中で、たまたま次男の記憶が抜け落ちている事実を知りました。

忘れることで自分の心を守ったのでしょうね。

 

一方で、解離していた記憶がフラッシュバックしてしまうこともあると文献には書かれています。

もしかしたら、GW前後のこの時期になるとフラッシュバックしている?

だから調子を崩しがちなのかな・・・。

 

不登校初期の記憶、私にとっては後悔することばかり。

でも、次男は忘れて自分を守ることができていたと考えると、ほんの少しだけ救われる思いがします。