ゆっくりいこう ~不登校ふたりっ子の足跡~

不登校の双子と生きる母の忘備録

可愛い子には旅をさせよ

こんにちは。

 

九州北部から東海地方にかけて、早くも梅雨入りしましたね。

eco家地方も今週はずっと雨マーク。

この週末にいっぱい洗濯をしておいて良かったです。

 

月曜日はどうもエンジンがかからない長男。

今日はお休みです。

休職していた担任の先生がGW明けに復職されてからの長男は、それなりに頑張って登校しています。

週に1時間の勉強も順調な様子。

とはいえ、やっぱりぼちぼち。

相変わらずのマイペースくんですね。

 

お見送り作業

 

2ヵ月近く調子が良く、ぬいぐるみ作りに邁進している次男。

少し疲れが出てきたようにも見受けられます。

ここ最近は休みも取りつつ、でも製作するときは相変わらずの集中力でぬいぐるみ作りを続けています。

私から見ると、これくらいのペースが丁度良いのでは? という感じ。

 

この短期間で完成したぬいぐるみは20体以上。

キャラぬいと動物のぬいぐるみ、半々くらいかしら。

小さいサイズなら、1日で完成させてしまいます。

 

次男は、ゆくゆくはぬいぐるみ作家として活動していきたいと考えています。

ビジネスとしてやるとなると、製作だけやれば良いというわけにもいきません。

昨日は初めて、ぬいぐるみの発送作業をしました。

 

と言っても、今回発送したのは、身内から製作依頼を受けていた子たち。

私の父、姉&姪っ子、叔母からの依頼で製作した計5体のぬいぐるみを送り出しました。

(私が「発送」という言葉を使うと、次男は「モノ扱いしないで!」と怒ります)


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「可愛い子には旅をさせよ」

 

次男にとって、自分が作ったぬいぐるみは我が子のような存在。

どの子も可愛がっていて、愛着があります。

 

発送準備をしながら、

「どうしよう、お別れするの寂しいな…。ぬいぐるみ作家になったら、みんなとお別れしなきゃいけないのに」

と、しゅんとしてしまいました。

 

もともと情に厚く、お別れするのが苦手。

ぬいぐるみはもちろん、自転車にもメガネにもスマホにも名前をつけちゃう子です。

手放すときはいつも寂しさとの闘い。

 

送り出すぬいぐるみたちとお別れの儀式をして、

「離れても一緒だからね。幸せになってね」

と語り掛け、集荷に来てくれた宅配業者さんがトラックにぬいぐるみを積み込むまでお見送りしていました。

 

その後も「今ごろ暗いトラックの中だよね」と、再びしゅん・・・。

長男にゲームをしようと誘われても、そんな気になれないと断っていました。

 

eco「寂しいかぁ・・・うん、寂しいよね。でもね、次男が大事に作ったぬいぐるみが旅に出て、誰かを癒す存在になれるかもしれないんだよ。素敵な名前をつけて貰って、きっと可愛がってくれるよ。それってすごいことじゃない?」

 

次男「うん・・・可愛い子には旅をさせよって言うもんね」

 

まぁ、若干意味は異なりますが、次男にとって必要な試練という意味ではその通り。

 

送り出したぬいぐるみたちは、今日には新しいご主人の手元に届いているはず。

きっと大事に可愛がってもらえると思います。

 

次男はいつも自分の中に「死」を見ている

 

私の父と姉&姪っ子にプレゼントするぬいぐるみは、次に会う時に渡せばいいと考えていました。

しばらく先になるかもしれないけれど、送料もかかるし・・・というのが本音。

 

でも、次男は

「生きて会えるかなんてわからないから送る。次会う時を待っていて後悔したくない」

と言って譲りませんでした。

結局、次男の気持ちを尊重して郵送することに。

 

おそらく、心身の健康に問題がなく、身近な人を失ったことのない若い子は、

「このひとに会えるのはこれが最後かも」

と常日頃から考えたりはしないと思います。

 

次男の中には「死」という漠然とした恐怖が常にあります。

調子の良い状態だと死にたいと口にすることはありませんが、それでも毎日一度は「死んじゃってもずっと一緒だよね?」と聞いてきます。

 

いつも自分の中に「死」を見ているって、どんな感じなんでしょう。

私にはわかりません。

 

ただ、「死」を意識しているということは、逆に「生」も強く意識しているということなんじゃないかな・・・。

私の勝手な解釈ですが。

 

本人は苦しいと思います。

だけど、次男はそれだけ真摯に、一生懸命生きている気がして。

熱心に好きなことをしている姿は、とても輝いて見えます。

ぬいぐるみという「好き」に出会えて良かったね。