こんにちは。
久しぶりに少しまとまった雨が降りました。
長男は「今日は畑の水やりしなくて済む~」とバンザイ。
梅雨明け以来ほとんど降っていなかったので、日々がんばってくれています。
水やりはいつも夕方だけどまだまだ暑いし、蚊はいるし、面倒だし・・・というのが本音なのでしょうね。
私にとっては、長男とのまったりしたお喋りタイムなんだけどな。
児童精神科へ行ってきました
昨日は児童精神科の受診日でした。
今回は私ひとりで行ってきました。
夏休みの児童精神科はお子さんでいっぱいです。
この1ヵ月ほど、双子の様子は安定しています。
それぞれ好きなことをやって過ごしているし、夫とフォートナイトを楽しんだり、私とボードゲームや粘土をしたり。
長男はメラトニンを飲まなくても良く眠れていて、朝も早起き。
次男からはよく鼻歌が聴こえてくる。
Dr.「いい感じじゃないですか。お母さん、もう少しの辛抱だと思うよ」
そうかなぁ・・・。
私は勝手な期待を抱いて、裏切られたような気持ちになるのはもうイヤ。
というのが本音なのだと思います。
ガッカリしたくない。
だから、今はまぁまぁ調子がいいなと思っても、先のことまで楽観視しないようにセーブするのが癖になってしまいました。
回復期こそ親の辛抱が試される
子どものエネルギーがなくて元気がない状態の時は、生きていてくれればいい、笑顔でいてくれればいいと心から思えるんですよね。
でも、子どもが精神的に安定してきて、元気も出てくると、どうしても次の要求をしたくなる。
この欲張りのせいで、今まで何度も後戻りしてきました。
ちょっとした小言が口から漏れ出てしまったり、子どもからの些細な要求に嫌気がさしたり。
大丈夫そうに見えていると、つい気持ちが雑になってしまう。
さらには、自分自身のそれまでのストレスが表に出てくるという悪循環・・・。
先生の言う「もう少しの辛抱」ってこういうこと?
今くらいの安定した状態は、これまでに何度かありました。
でも、その度に失敗して、後退しての繰り返し。
もう次は失敗したくないと思うのに。
不登校からの回復は、らせんを描くように状態が良くなっていくと聞いたことがあります。
だから、良くなってもまた落ち込むことは珍しくない。
(不登校の解決が必ずしも再登校とは考えていません。個人的には、良くなる=自分の意思で動き出すくらいの感覚)
子どもの元気が出て回復の兆しが見えてきた時こそ、親は辛抱しなければいけないのかもしれませんね。
今なら背中を押してもいいのでは?
要求してみてもいいのでは?
と考えるけど、今まで通り本人に任せる。
お好きにどうぞを貫く。
親の辛抱が試されているようですね。
こういう時こそ、親は自分の時間を楽しむことが大事なのかもと、今更ながら気がつきました。
読みたい本も沢山あるし、ミニチュアハウスもまた製作中。
私は私の時間を楽しもう。