ゆっくりいこう ~不登校ふたりっ子の足跡~

不登校の双子と生きる母の忘備録

孤軍奮闘でも、孤立無援じゃない

こんばんは。

 

先週後半は覚醒モードでやる気いっぱいだった長男。

週末は家でゆっくり過ごし、今日はまた給食を食べに登校しました。

今日は次男も一緒。

明日は2人ともお休みの予定です。

給食のメニューがいまいちなんですって。

 

芝刈りで孤軍奮闘

 

敬老の日だった昨日は、1日がかりで芝刈り。

45Lのゴミ袋が10袋にもなりました。(どれだけ草だらけだったのかはご想像にお任せします)

 

先日、今の家に住み始めて10年を迎えました。

新築時には綺麗だった庭も、10年経つと色々な植物が入り込んできて、維持するのも大変。

もはや植物たちの戦場のようになっています。

 

(新築時)平和な芝生の国 → シロツメクサ侵入・増殖 → 芝生とシロツメクサの攻防 → カヤツリグサ侵入・増殖 → カヤツリグサが一部制圧したことにより芝生は土地の3分の1を失う(現在)

国境付近(お隣さんとの敷地境)では、ドクダミの度重なる侵略に加え、つる性植物が内部侵略を虎視眈々と狙っている状態。

 

こんな狂瀾怒濤のような庭を、芝刈り機で一掃しました。

カヤツリグサは本当に厄介な敵です。

あ~すっきり!!

 

こまめにお手入れをすれば、こんなことにはならないと思います。

子どもたちの相手と家事と仕事を放棄して良いのなら、もっとこまめにお手入れするんですけどね・・・。

お庭を綺麗に維持しているお家、すごいなぁと憧れます。

 

芝刈機を長時間使ったおかげで、腕やら腰やら色んなところが筋肉痛。

情けないことに、身体中バキバキになりました。

 

孤軍奮闘でも、孤立無援じゃない

 

子どもたちが小さい頃は、草むしりや芝刈りもよくお手伝いしてくれました。

正確には「させていた」かな。

夫も今より協力的で、家族で庭に出ている時間がたくさんあった気がする。

 

今は私が庭で作業していても、子どもたちは家の中でのんびり。

たまに「お茶まだある? 持ってこようか?」と聞きに出てきたりはします。

手伝ってくれれば立派な戦力だけど、無理には誘うつもりはありません。

させられるお手伝いは、エネルギーを沢山消費してしまいます。

 

子どもたちの行動と私の考え方が気に入らない夫は、自分のことは棚に上げて「ヒマなら庭で手伝いしてくれば?」と、子どもたちに声をかけるらしい・・・。

イヤならイヤ、無理なら無理と言えるのは大事なこと。

だから断ってくれていいんです。

でも、夫に「手伝えば?」と言われると、遊んでいることで気が咎めたり、手伝わない自分を否定的に捉えてしまう子どもたち。

そうならないように、「水筒に氷入れてきてくれる?」「お願い、ゴミ袋足りないから持ってきて!」みたいな、簡単なお手伝いだけお願いしています。

些細なことでも、痒いところを掻いてもらう感覚で、すごく助かる。

その感謝を言葉にして伝えています。

 

お庭を綺麗にするために貢献してくれてありがとう。

そうやって支えてもらっているから頑張れるんだよ。

 

子どもたちが不登校になってから、私は長いこと孤立無援だと感じていたんです。

子どもたちは先の見えない世界に入り込んでしまい、夫には理解されず、理解を示してくれる周りの人も本音では何を考えているのかわからないと思っていました。

たったひとりで闘っているような気分でした。

 

でも今は、孤軍奮闘しているとしても、孤立無援だとは思いません。

子どもたちはもちろん、助けてくれる人、支えてくれる人がたくさんいる。

ブログを通じて応援して下さっている方も。

そう思えるようになったのは、私自身が変わったからなのかな。

 

不登校の子も、同じだと思います。

学校へ行けなくて、みんなから取り残された気分になって、自分を理解してくれる人なんていないとさえ感じる。

自分を受け入れて貰えないと感じる。

でも、本当は孤立無援なんかじゃないと思います。

直接的じゃなくても、些細なことでも、助けてくれている人が必ずいる。

そのことに、気づけたらいいなと思います。