昨日の夜から「明日はお休みにする」と決めていた次男。
先週もらった図工の課題をやると話していましたが、夕方になってもやる気配はなし。
声を掛けないとやらなそうだけど、声を掛けたらやる気を失くしてしまいそう。
こういう小さな声掛けひとつでも、どちらがベターなんだろう?と迷います。
長男も朝の時点で欠席すると決めました。
欠席を決めると、自らタブレット学習にも取り組んでいました。
週末にやらなかった分もきっちり。
そういうところ、えらいな~と思います。
「ずるい」が減ってきました
最近の長男は、少しずつ自分の意思で行動できるようになっている気がします。
次男が学校を休んでいても、自分の意思で給食を食べに行ったり、家庭科の調理実習に参加したり。
野外活動にも一部参加することができました。
今日のように家で勉強する時も、以前は
「次男は何も勉強しなくてずるい」
と度々言っていましたが、最近はそういうことを言わなくなりました。
宿題のプリントに自ら取り組む時も、宿題を出されていない次男を「ずるい」と言わなくなりました。
小さい頃から次男に対する依存心が高く、次男の言動に強い影響を受けてきた長男。
だんだんと自分は自分、次男は次男と切り離せるようになってきているのかもしれません。
「ずるい」ではなく「損」
以前の長男は、学校に行ったり勉強をしても、疲れるだけで何も報酬がない、メリットがないと考えていたと思います。
次男は家で好きなことをしていてずるい。
自分だけがんばるのは損だと思っていたかもしれません。
でも、だんだんと成長してきて、勉強して身についたことこそが財産(報酬)で、がんばったことで得られるものがあるのだと感じるようになってきたのではないかと思います。
次男が近くにいない時に、笑いも織り交ぜながら私と英語の勉強をしていた長男がこんなことを言っていました。
「次男は損してるね。やってみたら楽しいし、勉強になるのに」
その通りだよ。
本当なら得られるはずのものを得ようとしないことこそ、損しているということ。
学校に行かずに家で勉強している長男に対しても全く同じことが言えるのですが、そこは触れずにおきました。
それに気づけただけでも成長だと思います。
例え損でも自分を守るために必要なこともある
長男とはそんな話をしましたが、
次男は損だねー、勉強すればいいのにね。
学校も行けばいいのに。
という話をしたかったわけではありません。
次男が学校や勉強に向き合うことができないのは、多大なストレスから自分を守るための行動だと思っています。
長男が給食しかほとんど登校できないのも、結局は同じ。
学校に行けない子は、何も損得勘定で学校に行かないわけではありません。
不登校で人生がハードモードになるとしても、やっぱり行けないものは行けない。
そういう子が、損をしているとは思いません。
その子にとって必要な休息なのでしょう。
学校に通うチャンス、勉強するチャンスを逃したとしても、別の経験で埋めれば、それは強みになります。
勉強は後から取り戻すことだってできる。
長男が「ずるい」という感情に囚われて、大事なことに気づけない方が、それこそ損です。
「ずるい」という気持ちはさっさと捨てて、前に進めるといいな。