ゆっくりいこう ~不登校ふたりっ子の足跡~

不登校の双子と生きる母の忘備録

それぞれの2023年を振り返って

こんばんは。

 

2023年も残すところ僅かとなりましたね。

今年も当ブログを読んで下さってありがとうございました。

お住まいもお顔も知らないどなたかが目に留めて下さり、読んで下さっていると思うだけで日々の励みになっています。

 

長男の2023年

 

冬休み中の長男、昨日は大掃除、今日はおせち作りの手伝いを頑張ってくれました。

 

「ぼくだってね、実は色々考えてるんだよ」

 

今年、何度か長男から出た言葉。

 

元来マイペースで受け身なことが多いけれど、実はじっくりと考えているみたい。

判断したり、意思表示するまでにかかる時間が他人より長いだけ。

そんな風に自己理解をするようになりました。

 

中学卒業後の進路に関する話ができるようになったのも、大きな成長かな。

学校見学にも行くことができました。

 

eco-hs-o.hatenablog.com

 

そして2学期からは勉強の方も少しずつ動きが。

今は小学校の算数と、「Duolingo」というアプリで英語の勉強をぼちぼち続けています。

 

長男は次男がメンタルの調子を崩すとどうしても引きずられがち。

でも、今年は大きく調子を崩すことなく過ごせました。

 

ぼくはぼく

次男は次男

 

境界線が存在することをやっと理解できてきた感じ。

 

次男の2023年

 

次男はこの1年、たくさんのぬいぐるみを作り腕を磨きました。

今年作ったぬいぐるみを数えてみたら、

 

動物ぬいぐるみ28体

キャラぬい17体

その他小物や服など5点以上

 

数字で見るとすごいな。

1年前の拙い作品と比べると、クオリティも格段に上がっています。

 

年初に立てた目標は、「売れる」ぬいぐるみを作ることでした。

eco-hs-o.hatenablog.com

 

縫製技術を磨き、オリジナルのぬいぐるみを私と共同開発し、兎にも角にも目標達成。

11月の某大学学園祭で販売することができました。

しかも、その後もいくつか依頼を頂いて。

 

eco-hs-o.hatenablog.com

 

自分の作った作品を手に取ってもらい、喜んでもらえるという体験は本当に貴重。

お客様から頂いたお礼や喜びの言葉は、次男の宝物です。

 

メンタルの波と付き合いながら日々を過ごす中で、次男も自己理解が進んできています。

次男にとっては呪縛に等しかった「学校」について、9割くらいは吹っ切れてきたんじゃないかな。

がんばりすぎず、がんばる。

 

「今年がんばったよね。ぼく成長したな〜」

という自己評価を聞けただけで、私は大満足です。

 

ecoの2023年

 

ちょうど2年前。

不眠症状やら気分の落ち込みやらがひどく適応障害と診断されてから、お薬の助けを借りながらの生活が続いています。

 

どうしようもなくやる気が出ない

とにかくひとりになりたい

前向きな気持ちになれない

ほんの些細な言葉に傷ついてしまう

 

みたいなことが今年も度々あって、2ヶ月ほど前にお薬の調整をしてもらいました。

そのおかげか、ここしばらくは晴れやかな気分。

 

似ているようで全然違う個性を持った双子と、手のかかる夫に疲れ果ててしまうこともあります。

お薬を飲んだからといって、スッと解決するわけじゃない。

不登校を受け入れたり環境調整をしたからといって、学校に行けるようになるわけではないのと同じです。

そういう子どもの葛藤を身をもって知ることはできたかな。

 

不登校6年目。

やっとやっと光が見えてきた気がしています。

 

でも、それはトンネルの出口とかではなくて。

どちらかというとマッチ売りの少女が持つような、小さなマッチに灯る明かり。

風に吹かれて揺らめいたり消えそうになったりしている、頼りない光です。

少しずつ風を遮る方法を覚えて、火が消えてもマッチを擦るコツをつかんで、いつか松明に火を移すことを覚えて、力強い光になっていけばいい。

 

そんな風に考えられるようになったのが、前を向けている証なのかもしれません。

 

来年もゆっくりと歩みを進められますように。

温かく見守って頂ければ幸いです。

 

 

 

皆様、良いお年をお迎えください。

 

一生もののフリーレンとブランケット

こんにちは。

 

今日はクリスマスですね。

 

eco家では23日に一足早くクリスマスパーティをしました。

長男が塩パンを焼いてくれて、私はサラダとスープ、そして桃と生カスタードのタルトケーキ(タルト生地は市販品)を作りました。

メインは予約してあったモスチキン♪

 

家族みんなで平和で穏やかにクリスマスを過ごせるって幸せ。

子どもたちはあとどれくらい、家族で過ごすクリスマスを楽しんでくれるかな。

 

ところが、おいしくごちそうを食べた後、次男はお腹を壊していました。

どうやらお腹が虚弱な次男(不登校のはじまりも腹痛でした)

焼肉とかちょっとお高いハンバーグを食べると、決まってお腹を壊します。

気の毒すぎる・・・。

 

欲しいものが思いつかない

 

毎年10月くらいから欲しいプレゼントを考えはじめ、クリスマス当日まで待ちきれない! というのが例年の次男。

珍しいことに、今年は欲しいものが思いつかないままクリスマスを迎えてしまいました。

 

欲しいものが思いつかないくらい充足した日々を送れていたということなのかも。

だったら無理やり欲しいものをひねり出す必要はありませんよね。

現金で取っておいて欲しいものを思いついた時に買ってあげるよ~と伝えたのですが。

「プレゼントの楽しみがないクリスマスなんて・・・」

と、ここ数日は何度も口にしていました。

 

まぁまぁ。

次男のそういう気持ちがわからない母ではありません。

長男には希望通りのプレゼント(桃鉄ワールド)を用意し、次男に何もなしというのもね。

 

というわけで、次男には本をプレゼントしました。

ヨシタケシンスケさんの『メメンとモリ』

yomeruba.com

「生きる意味」や「生きる目的」って必要ですか?

と考えさせられる短いお話が3篇入った長編絵本です。

 

本を読むのが苦手な次男でもさらっと読めて、心に響くんじゃないかなぁと。

小学生の時から「生きる」ことに悩んできた次男にぴったりの本だと思います。

 

私にもプレゼントが!

 

今年は私も双子からプレゼントをもらいました。

 

次男からは『葬送のフリーレン』の主人公、フリーレンのぬいぐるみ。

もちろん次男のお手製です。

11月のうちに「はい、クリスマスプレゼント!」と渡されました。

 

手の込んだ一点もの。

再現度が高い!

縫製もかなり上達しました。

 

そして長男からはふわっふわの大判ブランケットをもらいました。

 

私の誕生日や母の日に手づくりカードのプレゼントや、パンを作ってくれたことはありますが、お小遣いでプレゼントを買ってくれたのは初めて。

 

11月のとある日のこと。

長男「買いたいものがあるんだけど・・・。ネットで買える? これ」

と見せられたのが、楽天の商品ページ。

ミッフィーのブランケットでした。

 

もう、なんだか笑ってしまって。

 

次男に感化されたのか、「今年はママにプレゼントしよう」と思い立った長男。

でも、自分ひとりで買い物に行くという経験は皆無に等しい。

どうやって買おう?

と考えたのでしょうね。

 

困ったはてに、よりによって贈る相手を頼ったわけです。

そういうのはパパに頼んでイオンにこっそり連れて行ってもらうとか、方法があるのでは。

プレゼントする相手にいきなり相談しちゃうところがまだまだ可愛いと思う親バカです。

 

結局、買い物には私が付き添いました。

「好きなの選んでいいよ。でも値段は見ちゃダメ」と言う太っ腹な長男に甘えて、クマさん柄の大判ブランケットを選択。

クリスマス当日までおあずけにされていたブランケット、今日ようやく受け取ることができました。

ふわふわ~。

 

とても暖かくて、長男の気持ちも嬉しくて。

もちろん次男のくれたフリーレンもお気に入り。

一生大事にしよう。

次男の悪夢は学校の夢

こんにちは。

 

今日は2学期の終業式。

猛暑から始まった長い2学期、皆さまお疲れ様でした。

 

先週1週間お休みした長男は、今週火曜日に三者面談を終えたら通常運転に戻りました。

どうやら三者面談のことを考えて憂鬱になっていたようです。

 

面談の畏まった空気が苦手

進路の話が憂鬱

というお子さんは、発達障害の有無に関わらず決して少なくないと思います。

だからと言って、10日も休むとは。

「そんなにもイヤなんだ・・・よっぽどだね」というのが先生と私の本音。

 

でも、なんだかんだ言っても面談にはちゃんと出向く真面目な長男。

進路の話もそれなりにできました。

2学期もよく頑張りました。

冬休み中は毎日算数(小学校の振り返り)の勉強をするんですって。

ほんとに?

 

イヤな夢ばかり

 

ここ最近はひどいうつ状態になることもなければ、すごく調子が良いというわけでもない次男。

面談(本人不在)では、安定の低空飛行中とお話しました。

 

気分の波があり双極性障害の疑いがある次男は、安定した日々を過ごすことが第一優先。

本人としてはもう少し活動的に過ごしたいと考えているかもしれませんが、今の状態はそれほど悪くないのでは、と思います。

 

ただひとつ、どうにかならないかな・・・と思うのは、ほとんど毎朝「イヤな夢を見た」と言って目覚めること。

夢見が悪いと、寝起きってスッキリしませんよね。

そんな目覚めが毎日のように続くので、午前中はあまり覇気がありません。

 

次男の悪夢=学校の夢

 

次男が頻繁に見るイヤな夢は、学校の夢だそうです。

具体的にどんな夢なのかは教えてくれないのでわかりません。

中学には数えるほどしか足を踏み入れたことがないので、たぶん小学校の夢。

 

次男「また学校が出てきた。本当に悪夢。もう学校を見たくない」

 

次男が不登校になった原因は、今もはっきりとしたことはわかりません。

少なくとも、いじめにあったとか、お友達や先生と合わなかったとか、勉強で躓いたという理由ではないと思っています。

 

ただ漠然と学校に抱いているイメージが「負」

みんなに合わせて行動しなければいけない

枠からはみ出してはいけない

自分を出せない

次男にとって、自分の意思と対極にあるのが学校のようです。

 

今は学校に行くつもりもなく、お家で好きなことに没頭して過ごしています。

学校に行けない自分を責めていた頃に比べれば、とても穏やか。

それでも毎日学校の夢を見るなんて。

トラウマと言うには大げさかもしれないけれど、やっぱりトラウマなのでしょうね。

 

毎晩「おやすみ」と一緒に、必ず「いい夢見てね」と言ってくれる次男。

私も「次男もね」と返しています。

良い夢とまでの贅沢は言わないから、せめて穏やかな気持ちで目覚められるような夢を見られますように。

「お子さんに学校に行って欲しいですか?」

こんにちは。

 

先週までの暖かさが一転、今週は冬らしい寒さが続いていますね。

年末年始はまた暖かくなるのだとか。

 

春夏秋冬という熟語は春が始まりだけど、1年の始まりは冬だという考え方を聞いたことがあります。

葉を落として栄養を蓄えることに専念し、芽吹くための準備をする季節。

土の中で根を張り、支えとなる土台を作る季節。

 

そう考えると、不登校の子どもたちは今まさに冬を過ごしていて、栄養を蓄えている最中なのかもしれません。

 

不登校で繋がる

 

我が家の不登校歴はもう6年目。

先日初めて、いわゆる不登校の親の会に参加してきました。

 

私には月1回、一緒にお茶会をする不登校ママ友がいます。

誰にでも話せるわけじゃない悩みや愚痴を打ち明けられる、もはや戦友のような存在。

 

そして不登校関連の情報会で4~5年前に知り合ったお友だちが2人。

LINEでたまに近況報告して、1年に1度くらいランチをする間柄。

繋がりは不登校というキーワードだけ。

それでも会えばお互いの話をうんうんと聴いて、励まし合える関係です。

 

そのうちの一人が親の会を立ち上げたので参加してみました。

見ず知らずの方が集まる、いわゆる「親の会」は初めてでした。

 

今まで親の会に行かなかった理由

 

子どもが不登校になった時、それまでの人生からは想像もしなかったほど、先の見えない真っ暗なトンネルに迷い込んだような気持ちでした。

 

だから、本当はすぐにでも誰かと繋がりたかった。

この気持ちを理解してくれるひと。

大丈夫と言ってくれるひと。

情けなくて惨めで、どうしようもなく自分を責めたり卑下してしまう気持ちを受け止めてくれるひと。

子ども達のためではなく、私自身の支えになってくれる誰かと繋がりたいと思っていました。

 

でも、勇気が出なかったんです。

 

市内の親の会やフリースクールを調べたり、教育支援センターに電話してみたりしたけど、自分の弱さをさらけ出すのが怖くて。

勇気がなくて。

親の会の扉を叩くことさえできませんでした。

 

年月とともに色んな価値観を少しずつ手放して、不登校を受け入れられるようになりました。

 

今の私は、もう親の会は自分には必要ないと思っています。

何でも話せる友だちがいて、ブロ友さんもいて。

不登校、つまり学校に行けないことに悩んでいるわけじゃない。

子ども達、そして私自身の生き方の悩みだから(それって誰もが悩むことですよね)

 

そんな理由で、今までいわゆる「親の会」には参加したことはありませんでした。

 

でも、今回行ってみて良かったです。

長い不登校歴を持つ今の私だから、みんなの話を受け止められるし、言えることもある。

双子が生後半年の時に、縋るような想いで初めて双子サークルに参加した時のことを思い出しました。

親の会とかピアサポートって、実は精神科医やカウンセラーのような専門家とは違った意味で、大切な支援のひとつなんですね。

 

「お子さんに学校に行って欲しいですか?」

 

途中から、地元のお寺の住職さんが参加して下さいました。

ありがたいお話もして下さり、でも、それ以上に不登校の子や親の実態を知りたかったご様子。

 

住職さん「お母さん方、お子さんに学校に行って欲しいですか?」

 

案外こんな風にストレートに聞かれることって少ないですよね。

なかなか核心を突いた質問。

 

参加者のほとんどは、不登校歴半年~2年くらい。

主催していたお友だちと私だけ6年。

 

住職さんからの質問に、う~ん・・・と顔を見合わせる皆さん。

「最低限の勉強は身につけて欲しい」

「お友達との関わりも必要」

「嫌な事でも多少の我慢はすることを覚えて欲しいし、努力も必要」

皆さん、やっぱり学校に行ってくれればと願っているようです。

 

一方、不登校歴の長い主催者さんと私。

「学校に行って欲しいという気持ちはなくなった」

 

私は今も、行けるのなら行くに越したことはないと思っています。

学校って効率良く勉強も社会性も身について、色々な経験ができる便利な場だから。

でも、自分自身を犠牲にしてまで行って欲しいとは思いません。

 

学校に行くか行かないかの問題ではなく、どう生きていくか。

学校から焦点をずらせば、違う景色が見えてくる。

 

まだまだ手放せないものを多く抱えているお母さんたちに、そんなことを伝えていけたらいいな。

都合が合えば次回も参加してみようと思います。

「ぼくってADHDだと思う」

こんにちは。

 

今週は今のところ登校ゼロの長男。

冬休みを前に燃料切れかな。

家でのんびりと過ごしています。

 

昨日はうさぎのこみみのお誕生日。

5歳になりました。

うさぎは6歳でシニアと言われます。

5歳のこみみは人間で言えば更年期くらいのイメージ?

 

こみみは私たち家族にとってかけがえのない癒し。

寝ていても、食べていても、走っていても、怒っていても、拗ねていても可愛い。

毎日家族みんなが「かわいいね~」「癒しだ~」とこみみを愛で、オキシトシンの恩恵を受けています。

こみみの存在がなければ、eco家はもっと殺伐としていたかも。

これからも一緒に過ごす時間を精一杯大切にしたいです。

 

「ぼくってADHDだと思う」

 

長男は受動型の自閉スペクトラム症だという記事を書きましたが、先日、長男がこんなことを言い出しました。

 

「ぼくって注意欠如なんたら障害だと思う」

 

注意欠如なんたら障害。

ADHD、注意欠如・多動性障害のことですね。

 

長男の発達障害に関する知識は、それほど多くありません。

自分が自閉スペクトラム症ASD)でどんな特性があるかは理解しつつある、という程度です。

 

eco「なんでそう思うの?」

長男「だって落ち着かないじゃん。すぐ忘れちゃうし。勉強しててもすぐ横にそれちゃうし」

 

ほ~・・・、自分のことをよくわかってきましたね。

 

長男はADHDの診断は受けていません。

でも、ASDADHDはかなりの割合で併発すると聞きます。

 

そして私は長男が小さい頃(不登校になるずっと前)から、ADHDなのでは? と感じたことが何度もあります。

 

正直、ASDの診断を受けた時は「ADHDではなく?」と思ったほどです。

きっと両方持っていて、でも、診断当時はASDの困り事の方が強く表れていたのでしょうね。

 

脳内が忙しそう

 

現在も幼少期も、多動性や衝動性はさほど目立ちません。

少なくとも、幼稚園や学校で問題になるようなことはありませんでした。

 

恐らくですが、長男は不注意優勢型。

私が感じてきただけでも、これだけ当てはまります。

 

・忘れ物が多い

・1つのことに注意を向けると、他に注意が向かない

・外からの刺激ですぐに気がそれてしまう、注意が持続しない

・一方で好きなことには夢中になり、過集中になる

・計画を立てる、優先順位を考えてものごとに取り組むのが苦手

 

小さい頃からの長男の印象は、脳内が忙しい子でした。

興味、思考があちこちに飛ぶ。

でも全く繋がっていないわけではなく、脳内ではたぶん繋がっていて。

常に連想ゲームが繰り広げられている感じ。

 

これって脳の多動というやつかな~と感じてはいたものの、頭の回転の速さ、知識の繋がりの緻密さに感心させられることも多くて、問題だとは思っていなかったんですよね。

 

最近読んだブログ記事で、ADHDの脳内はひとりマジカルバナナ状態と表現されていました。

まさにそれ。

本当に連想ゲームをしているよう。

それをなんとなく理解できてしまう私も、同じ傾向があるのかも。

 

本人は困っていませんが

 

eco「ADHD傾向はあるかもね。それで何か困ってる?」

長男「うーん、特に・・・」

 

家が生活の中心になっている今は、特に困っているわけではなさそう。

私から見ても、特に困ることはありません。

 

私は長男に複数のタスクを一度に伝えることはしません。

忘れることがわかっているから。

 

勉強中に脱線しても、それはそれで良しとしています。

例えば、数学の問題に理科や社会に関連する割合のグラフが出てきたら、関心は理科や社会へ。

文章題の日本語がわかりにくければつっこみを入れて正しく伝わる文章を考える。

作図の問題はアレンジを加えていたずら書き。

そんなことはしょっちゅうあります。

それはそれで良い勉強。

 

でも、それって私が長男の性格(特性)を理解して接しているから容認できるのであって、社会に出たらやっぱり困るのかも。

本人に困り感がなくても、周りが困る可能性も大いにあります。

 

と考えると、悩ましいですね。

家族としてありのままを受け止めていると、客観性に欠けてしまうこともあるし。

このままで良いものか、わからなくなってきてしまいます。

 

支援級の先生や児童精神科の先生に一度相談してみようと思います。

職人っぽくなってきた

こんにちは。

 

月曜日はどうにも気分が乗らない長男。

今日も学校へは行かず、お家で少し勉強をしました。

 

現在中学2年生ですが、小学5年生の算数を振り返りが終わったところ。

分数の通分約分、円周率、平均の計算、割合なんかが出てきて、実生活にも結び付きやすい内容でした。

 

円周の長さの計算をする長男を横目に、私はコレの型を作っていました。f:id:eco_hs_o:20231211151423j:image

ぬいぐるみにぴったりのサンタさんの帽子(ぬいぐるみは昨年次男が作った子)

 

頭の直径から円周(=ふわふわ部分の長さ)を計算し、帽子の高さを半径とした円の周長を合わせて扇形にするだけ。

バランスぴったり。

可愛くできました。

こんな勉強なら、次男も興味を持つかもしれないな♪

 

失敗したらやり直す

 

次男は小さい頃から失敗体験が少ない子、失敗が嫌いな子でした。

 

失敗したくないからやらない。

一度失敗したら、もうやりたくない。

長男の失敗を見ているから、自分は失敗したくない。

何をするにも石橋を叩いて叩いて、結局渡らない。

 

私が先回りして口を出してしまっていただけではなく、次男なりの鋭いアンテナで失敗を避けてきたのだと思います。

トライ&エラーを繰り返すどころか、最初のトライでつまずく子でした。

 

ぬいぐるみ作りを日常的にやるようになった今、ぬいぐるみ製作に関しては失敗を恐れなくなりました。

 

あ~! 裏表間違えた!!

工程ひとつ飛ばしちゃった・・・

綿を入れてみたら、なんだかバランスが悪い

 

こういうこと、多々あります(私もよくやる)

 

先日はキャラぬいの身体の模様をちまちま刺繡していました。

平面の状態で立体を想像しながらの刺繍はただでさえ難しいし、なにしろ細かくて。

腕を上げたな~と思いながら見ていたら、

 

次男「やめた!! これはボツ。やり直す」

 

え? なんで? 上手にできているのに勿体ない。

思わず心の声が口からポロッ。

 

次男「刺繍だとどうしても生地が縒れちゃうから、布を貼ることにする」

そう言って、ほぼゼロからやり直し。

 

少し前までは、失敗するとやる気を失くしてしまうことも少なくありませんでした。

一度縫った糸を解く作業を、私に丸投げしてきたことも何度もあります。

丈夫に縫えば縫うほど、解くのも手間がかかると自分でわかっているので。

 

でも最近では、淡々と、黙々と糸を解いてやり直しをしています。

より可愛い作品にするために。

 

生きていくうえでこだわりの強さは困り事になることもある。

でも、クリエイターとしての作品に対するこだわりは魅力になる。

職人っぽくなってきましたね。

 

もうすぐ2年

 

うちの双子は小さい頃から可愛いものやぬいぐるみが好きでした。

動物園や水族館に行くと、欲しがるのは必ずぬいぐるみ。

クリスマスも誕生日プレゼントも。

おかげで我が家には山のようにたくさんのぬいぐるみがいます。

 

次男がぬいぐるみ作りを始めてから、もうすぐ2年。

ぬいぐるみを買って欲しいと言わなくなりました。

 

欲しければ自分で作る。

キャラぬいも自作。

自分好みに作れて、愛着も倍増。

 

売られているぬいぐるみを見る時は、もはや作家目線です。

どんな生地が使われているか

綿の入れ方にはどうこだわっているか

きっと脳内では展開図が描かれているんじゃないかな。

 

どんなものでも作れるという域にはまだ達していませんが、いつかは作ってやろうという気概を感じます。

そのうち我が家はeco家製のぬいぐるみでいっぱいになりそう。

 

受動型ASDの弱点をカバーするには

こんにちは。

 

今日は朝から盛大にお皿を割ってしまいました。

盛大と言っても、直径5センチくらいの小さなガラスの器。

ただ、eco家のキッチンは床がタイルなので、食器を落とすと派手に割れるのです。

 

食器を割るなんて朝から気持ちが萎えてしまいそうな出来事。

でもね、音がすごくきれいで、逆にちょっと気分が上がりました。

クリアで繊細な音。

リビングにいた長男まで「今の音、きれいだったね~。録音しておきたかった!」

 

こういう時、何か良くない出来事の身代わりになってくれたと考えるようにしています。

お皿さん、ごめんね。ありがとう。

 

双子の幼少期の大変さ

 

精神障害者保健福祉手帳自立支援医療制度の更新手続きのために、児童精神科で診断書を発行してもらいました。

診断書2人分、受診料とお薬代3人分(私を含む)で、この日のお会計1万円超!

ひゃ~。

自立支援医療制度を利用しているので、子供たちの受診料とお薬代は後で戻ってきますが。

 

担当医が診断書作成のために、双子の幼少期からの記録を読み返したそうで、

Dr.「長男くんの方が泣き虫だったんですね。次男君の優しいエピソードが今の雰囲気そのまま。でも、お母さん大変でしたね」

と言われました。

 

双子の幼少期。

大変、だったのかな・・・。

必死だったことは確かです。

 

そもそも「双子なんだから大変で当たり前」というのが大前提にあって。

それはもう、おなかの子が双子だと判明した時から。

初めての子育て、初めて母になる。

しかも2人の子どもの。

 

なんというか、覚悟が必要でした。

大変で当たり前という覚悟。

 

でも、今になって時々思います。

 

双子だから大変だったのか。

発達特性や感受性の強さがあるから大変だったのか。

 

双子を育てるのは大変で当たり前という覚悟があったから、大変さを受け入れていたから、個々の育て難さにフォーカスしなかったような気もします。

だから運よく乗り越えられたのかも。

 

受動型ASDの長男に必要なこと

 

診察で長男の最近気になっていることをお話ししました。

eco「以前よりも特性が表に出ている気がする。本人もそれを感じているみたいです」

 

家にいる分には困らなくても、学校に行ったり、お出かけしたり、社会と関わる場が増えると困りごとが増える。

特性があるからそれは仕方ないのだけど。

 

職場体験したり、高校の見学に行ってみたり、少しずつ少しずつ経験を重ねていくことが、長男の特性を改めて認識する機会になって悩ましくもあります。

 

長男の受けている診断は受動型の自閉スペクトラム症

受動型については、こちらのサイトの解説がとてもわかりやすかったです。

kokoro-kichijoji.com

 

(一部抜粋して要約しています)

・何か言われても断らず受け入れる傾向があるため、対人トラブルは生じにくい

・自分の思ったことや主張を表現することが苦手

・特性上「実はこだわりはある」けれど断れず、納得もなかなかできない面があり、ストレスが強くなりやすい

・全体として一見奇妙さは少なくトラブルも少ないため幼少期には気づかれにくく、二次障害をきっかけに気づかれることが多い

 

うん、まさに長男。

 

受動型の子というのは、「動き出すまでそっと見守りましょう」が通じにくいタイプじゃないかと思います。

 

だから長男にはある程度のお膳立てが必要で。

道筋や選択肢を示して、本人が判断できる材料を用意してあげる必要がある。

それでも判断が苦手だし、やれば出来ることでもストレス耐性がない。

本当に塩梅が難しいのです。

 

先述のサイトでは、受動型ASDの弱点をカバーする対策が3つ書かれていました。

 

①「断るスキル」を身につける

②「自己理解と表現練習」をして、自分の本心を引き出していく

③「ストレスマネジメント」の徹底でストレスを溜めない、発散する、耐性をつける

 

なるほど~。

具体的でわかりやすい。

どれもなんとなくはやってきたことだけど、もう少し意識的に取り組んでみようかな。